夢
「どこ行ってたん? ずっと待ってたんよ、虎がいつ来てくれるか思って」
「仕方ないだろう、このところ、ずっと忙しかったのだから」
「それはわかっとるけど、でも……」
さみしかった、と告げられて、清正は、ふくれっ面の行長を引き寄せた。
「すまなかったな」
と素直に詫びて、腕のなかの行長を、ぎゅっと抱きしめた。
変わらぬやわらかな感触に、陶然となる。ああ、行長の匂いだ。夢にまで見た、あの――。
いや待てよ、と清正は思う。
そもそも行長は清正に甘えたりしないし、大人しく抱かれたりなんてしない。
清正にしても、行長に謝ったりしないし、やさしく抱いたりなんてしない。
「虎、どうしたん?」
黒目がちのおおきな瞳がつやつやとひかって、清正の顔を映した。
互いの立場が変わっても、この瞳のきよらかさだけは変わらない、と思っていた。だが、時勢は容赦なく二人を翻弄し、はるか遠くから互いを見つめることしかできなくなった頃には、行長の瞳は、暗く沈んでいた。そして、その瞳に映った自分の顔もまた、醜く歪んでいた。
ああ、これは夢だ。唐突に、清正は思った。
「せっかく会えてうれしいんやけど、おれ、これから行くところがあるねん」
「知っている」
「虎の顔も見れたことだし、そろそろ行くわ」
「行くな」
「そんな、無茶言わんと」
「だめだ、行くな」
「頑固やなぁ。じゃあ、虎もいっしょに行こか?」
「それは……」
行長が、清正の腕からするりと抜け出した。白い顔に綺麗な笑みを浮かべて、みるみるうちに、清正から遠ざかってゆく。
「待て、弥九郎、待ってくれ。おれもいっしょに――」
そこでぱちりと目が覚めた。夢だ。ああやはり、夢だったのだ。
行長の訃報を聞いたのは、半年以上も前のことである。それより以前に、関ヶ原での三成方敗戦の報に接していたので、驚きはしなかった。行長自身も、覚悟の上のことであったろう。
その後清正は、行長の居城であった宇土を攻めて降服させた。
宇土城は、美しい城だった。行長が城主として過ごした日々はほんのわずかだったというのに、清正にとっては唯一残った行長の形見のような気がした。
だが、行長は去ったのだ。夢のなかでさえ、清正が止めるのも聞かず――。
清正は、宇土城の破却を決めた。
「城は打ち壊し、石垣は土で埋めよ。その上に新たな城を築いて……そうだな、いずれ、隠居所にでもしようではないか」
――清正公の、摂津守どのに対する憎しみはこれほどまでに深いのか。
――いやいや、そればかりではあるまいよ、旧小西領の統治を円滑に進めるためには、摂津守どのを思い起こさせる宇土の城は、無用ということなのであろう。
世上のうわさを余所に、新領主・清正の命は実行された。
「昔からそうだったが、あいつは弥九郎が絡むと、途端に面倒なことをするのだな」
「ははは、それもそうだな。“夢”のなかでは、あんなに素直だったのに――なぁ、弥九郎」
耳の先まで真っ赤になった行長に、三成と吉継がかわるがわる囃し立てる。
「紀之介はん、佐吉っちゃん、おれのわがまま聞いてくれて、ほんま、おおきに」
「――では、そろそろ行くとするか」
吉継の言葉に、三成と行長がそろって頷く。やがて三人は、並んで歩き出した。
そして清正は夢を見る。
最後に見た夢のなかで、行長は、ふんわりと笑って言った。
「おかえり、虎」
清正がその夢から覚めることは、ついになかった。
了